「あたしおかあさんだから」の炎上に見る「分かったフリ」の乱暴さ
「あたしおかあさんだから」の歌がネット上で大炎上し、作詞ののぶみさん、歌っただいすけお兄さんが謝罪するまでになりました。
子を持たない身である自分から見ても、あの詞は読んでいて腹立たしいし不快。作詞者ご本人としてはお母さんへの応援歌のつもりだったようで、悪気なんてまったくなかったのでしょう。
アンタに私の何が分かるのさ
けれどもなぜこんなにも炎上したのか。
「よく分かってもいない人が分かったふうな口を聞くな」「アンタに一体私の何が分かるのさ」という思いがあるかもしれません。
母の大変さは、その立場になった人だけがいろいろ語れるものであって、同じ女性でも独身と育児中のお母さんでは、まったく別次元の世界を見ていて、完全には共感できないと思うから。
「アンタに一体私の何がわかるのさ」という気持ち。似たような感情を職場で感じたことがあります。一人で、上司へ向けて炎上していました。
きっかけは「文章を書いてお金をもらえるって、いいよね」と言った上司の言葉。私はその一言を、ものすごく不快に感じたのです。なぜだろう??と考えてみると、腹が立ったポイントが2つありました。
分かったように言わないで!
1 よく分かってない人に言われること
2 その状況が、そこまで上手くいっていないこと
詳しく見ていきます。
1 よく分かってない人に言われること
上司はもちろん社歴も長く、会社の広報のため代表のプロフィールとか、事業内容などの文章も書くこともあります。ですが本職のライター業ではありません。雑誌やWEBの記事として対外的に出す文章とは種類の違うもの。
それなのに「文章を書いてお金をもらえるって、いいよね」と、よく分かりもしないのに分かったように言われたことで、自分の職業を馬鹿にされたような気分になったのです。
「いいよね」と見えるその仕事の陰で、どれほどの血と涙を流してきたか。その経験をしていない人に、同じ土俵にいるかのように言われたことがとても悔しかった。
仮に、自分が文章でキャリアアップと自己実現ができていたら、内心で上司に「ケッ」と毒を吐きながらも、顔では満面の笑みで「そうですよね(ニコッ)」と言えたかもしれない。それでも言えなかったのは……腹が立ったポイント2に続く。
2 その状況が、そこまで上手くいっていないこと
上司の言葉に不快を感じたもう一つの理由は、「文章を書いてお金をもらえる」ことを実現できていない自分に対する嫌味のようにとらえてしまったから。
私は職場では、文章を書くよりも事務業のほうが多くて、一方で上司は広報用の文章を書いて一人で自己満足している。そんな状況に私はイライラしていたのです。
コンプレックスを言われたら痛い
きっと上司は悪気も悪意もなく、何も考えずにつぶやいた一言だったと思うのです。けれど自分が気にしていたことだから反応してしまう。
たとえば美女は他人から「ブス、デブ」と言われたところで、「は?何言ってんの?」と一笑できるでしょう。
しかし普段から見た目にコンプレックスを抱えている人が「ブス、デブ」と言われたら、傷ついたり怒るなどの反応をすると思うのです。
上司との件は、私にとって核心をつく言葉だからこそ痛みを感じる……という現象に似ています。
そして「あたしおかあさんだから」の炎上では、歌詞について「は?何言ってんの?」と一笑したお母さん方が、「#あたしおかあさんだけど」で言い返し、さらに不謹慎狩りの外野も加わって、炎上はますます盛り上がったのではないかと。
よく分かっていないのに分かったように言うことが、どれだけ人をイラっとさせたり傷つけるか。
日頃の会話の中で、どちらの立場にもなる可能性があるでしょう。でもモメないように言葉を慎んでいたら、何も言えなくなってしまう。だから傷ついたと感じたら主張して良いのだと思います。
私の場合は、上司に対する正解の対応はおそらく「そうですね、ニコッ」だったと思います。でもできなかった。
憤ったところで現状は変わらない。上手くいっていない現状に腹を立てるなら、変えるべく行動を自らするしかない。その部分は自分の中にある問題です。
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