雑用する側から頼む側になった時。仕事を支えてくれる人を覚えていて
当ブログでも、しょっちゅう私は「雑用したくない!」とほざいております。そう、雑用。仕事をする上でどうしてもなくならないアレです。
お茶くみ、コピー取り、電話対応、経費申請、宅急便の受け取り、宅急便の伝票を出す、荷物を梱包する、おつかい……など、できればやりたくないのになくならない、でも誰かがやらねばならない仕事。
やってもらって当たり前に思うなよ!
年功序列の会社で働いている私は、振られる雑用をいかにスピーディーに片付け、時に振られないように立ち回るかなどの雑用サバイバルをしております。
年功序列は、仕事能力や実績はまったく関係なく、社歴が長い人が偉いという生態系。当然ながら雑多な仕事は社歴の浅い人に躊躇なく降ってきます。もうウン十年とそういう社風で続けているのだから、きっとこれからのウン十年も変わらないでしょう。
雑用を新人に投げれば、その分やりたい仕事に没頭できます。後輩は雑多な仕事ばかり。付加価値の高い仕事を実践できない後輩たちは成長の機会を奪われてやがて転職。人材が流出していつも会社は人材不足……という負のループを何度も繰り返しているようです。
雑用をこなす社歴の浅い人々はよくこう考えます。「やってもらって当たり前と思うなよ!」と。
雑用に惑わされることなく働ける上層の人々を見ていると、「あの立場で働けたら、きっと会社を辞めないだろうなあ。居心地良さそう」と思います。自分だって、かかってくる電話に仕事を中断することなく、仕事に集中してみたいものだ。
けれども本当は、自分がやりたい仕事に集中できるように、影で手伝ってくれている人がいるんだってば。今も、これまでも。
やりがいのある仕事はごく一部
たとえば編集の仕事でいうなら「企画する、取材する、記事を書く」など、一般的に華やかなイメージのある職務なんて、編集と呼ばれる仕事のごくわずか。
お店紹介を乗せれば、URLや電話番号が合っているか一つひとつ電話をかけたり、サイトを開いてチェックする地道な仕事がある。本を出せば掲載誌を発送する仕事もある。読者さんへの謝礼用の商品券を買いに行く仕事もある。
誰もやらなければ自分の仕事になることを、ずっと誰かが手伝ってくれていた。総務とか経理とか部署は違えど、広く見れば仕事はつながっていて、間接的にでも自分の仕事を支えてくれる人がいる。
そう気づくことができたので、「雑用ばかり」なんてボヤくのはダサい。格好悪い。「やってもらって当たり前と思うなよ!」と自分に言い聞かせるのです。
これから雑用のボリュームが少なくなることがあっても、自分が仕事に集中できるように手伝ってくれている人がいることを忘れないようにしたいと思います。
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