友達100人できるかな?人間関係が豊かになるほど人に優しくできるのかも
「弱者に優しくない不寛容な社会だ」という言葉を最近よく見かけます。その典型的な例は、たとえば電車の中の赤ちゃんとお母さん。
友達に、子育て中のお母さんがいる?
社内で赤ちゃんが泣いていたら嫌な顔をされるとか、マタニティマークを付けると嫌がらせに遭うこともあるらしいですね。
常磐線でやむを得ず出産した女性にも、一部で批判的なツイートがあったとか。介護疲れの小室哲哉さんに対しても、「介護を不倫の言い訳にするな」と叩く人もいるようです。
社会において経済活動の戦力にならない人に優しくない。「不寛容」といわれる所以でしょう。
仕事が大変、育児が大変、介護が大変……。いろんな立場の人がいて、それぞれが大変で。自分も余裕がないから他人に優しくなれなかったりする。
私には子どもがいないから、子連れのお母さんの大変さに、本当に共感できるなんて言えません。言ったらウソだ。
それでも自分の周りに育児を頑張っている友人がいると、電車で見かける、赤ちゃんを連れているお母さんに関心を持つようになります。
そのお母さんの大変さを、友人も同じように感じて乗り越えてきたのかと思うと親近感が湧くし、応援したい気持ちになるのです。
かといって電車内でも大したサポートもできないんだけど。せいぜい席を譲るとか、ベビーカーを優先するとか、そのくらい。
けれども、身の周りの人間関係の中に子育て中のお母さんがいると、街ですれ違う育児中のお母さんに対する関心の度合いが、まったく異なってくると思うのです。
「友達100人できるかな」の意味
子育てだけではなく、介護でも何でも、さまざまな背景を持つ友人が増えることで、いろんな状況にある人たちへの理解と関心も高まり、すれ違うだけの人にも寛容でいられるような気がします。
人間関係が狭くなると、視点が他者よりも自分のほうに向きがち。自分の心の声に耳を傾けやすくなるという利点もある一方で、他者が見えなくなってしまうのは本末転倒です。
子どもの頃に言われた「友達100人できるかな」という言葉。100人なんて面倒くさいと思っていましたが、人間関係を広げる目的は友達を作ることだけではなくて、人としての器も広げたり、相手に対する理解と想像力を広げるためのものだったのかな……と思っています。
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