2017年11月13日

それ、当たり前ではありません。「今あるもの」を大切にできていますか?

投稿者: sanoe

当たり前のように目の前にあるものは、何かとおろそかにしがちにしていませんか?

たいていのものは、無くなって初めて、どれだけ大切なものだったかに気づくのだと思います。人だったり、ペットだったり、仕事だったり。

気づいた時にはもう遅い。もっと大切にすれば良かったと失ってから、後悔や罪悪感のようなものを感じます。そうやって失ってしまったものは、誰もが一つくらいはあるのではないでしょうか。

失って気づく、仕事とお金


仕事も辞めてから気づくことがたくさんあります。実はラクな仕事だったなとか、悪いことばかりじゃなかったなとか。

在籍している時は目の前の問題にとらわれて、とにかく早く辞められたらいいのに!と願っていたのに。いざ念願かなって辞めてみても、思っていたほどスッキリしなかった……なんてこともあるかもません。

そのような事態を防ぐには、「とりあえず辞める」を避けることだと思います。辞めた後のシミュレーションをできる限り細かく立てて、路頭に迷わないための最低限の準備をしておくこと。

私は20代のはじめに考えなしに会社を辞めた後、次の転職先もなかなか見つからず、仕事がない状態の辛さを味わったことがあります。完全な自業自得なので言い訳もありません。

社会から必要とされていないのだと打ちのめされ、あんな思いはもう二度としないと固く誓いました。仕事と収入があるというありがたさを痛感した体験です。

もう二度と会えない存在を思い出す


仕事ならリカバリーできることもあるので、まだいいほうです。人や生き物に関することはもう取り返せない。

失ってから気づく体験は仕方のないことだとは思うのですが、できるだけ後悔を少なくする方法があるとしたら、今、目の前に、手元にあるものを、決しておろそかにしないことだと思います。仕事も、人付き合いも。

もう二度と出会えないもののように、大切にすること。
自分ができることは可能な限りしてあげること。

手に入らないものにばかり意識が向いていると、「持っているもの」を忘れてしまいがち。

手に入らなかった過去や、これから手に入れたい未来ばかりが気になって、今、ここ、この瞬間にいない。そうやって生きていると、知らぬ間に周りの人を傷つけているかもしれないと思うのです。

私の懺悔は、もう何年も前に亡くなったペットを、もっと可愛がって面倒をみてあげれば良かった。亡くなった祖母に、もっとたくさん孝行してあげれば良かった、話を聞いてあげれば良かったということ。

実家の仏壇に手を合わせるたびに懺悔して謝っています。あの後悔が、今を大切にすることを思い出させてくれます。

 

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