2015年12月10日

仕事に誇りを持てますか?

投稿者: sanoe

エンドユーザーのことを考えた

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仕事に対するモチベーションがガクンと落ちる理由の一つに、自分がしている仕事に意味がないように感じことではないかと思う。

どんな些細な仕事にも、必ず、その仕事には意味がある。
意味があるから、仕事として成立しているはず。
松下幸之助氏の名言を引用した記事がありました。
https://career-tasu.com/media/career-worthwhile-kounosuke/
エンドユーザーのことを想像すれば、自ずと目の前の仕事に誇りを持てるのでは?というメッセージ。

私の職種はエンドユーザーと接する機会が少ないから、お客さんのことを忘れがちになる。だからこそエンドユーザーのことを想像することは欠かせないし、エンドユーザーのことを好きになれたら最高だ。
この間、「このお客さん、好きだ~」(※もちろん恋愛じゃないよ)と、ほんわかした気持ちになることがあった。すると、「このお客さんが幸せに近づくにはどうしたらいいだろう? このお客さんと同じ立場である、他のお客さんに対しても、何か応援したい!」と、仕事に俄然やる気が出てきた。

 

雑用のエンドユーザーって誰よ?

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「じゃあ、“お茶汲み仕事”のエンドユーザーって何よ!?」っていう疑問もありそうですね。
感動するほどの美味しいお茶を淹れたら、「御社は素晴らしい!」と信頼につながるし、仕事につながる。
…なんて言っていた経営者もいました。それもあるかもしれないが、ま、滅多にないでしょ。
お茶汲みは、最終的には自分のためにやるのだと思う。
同じ能力を持つ2人の社員がいた場合。
お茶汲みを嫌な顔ひとつせずに率先してやる人と、嫌々ながらやる人とでは、客観的に見ても前者のほうが好感を持てる。その好感が積み重なって、何かの機会に仕事を任せたくなるのはたぶん前者。

雑用は、「何で私がこんなことしなきゃならないのよ!?」ではなく、好意を持って行うべし。

 

空回りな「やりがい探し」は、もう要らない

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あと、こちらはスピリチュアルヒーラーNozomiさんによる「仕事にやりがいを求めるな」という、ちょい辛口なお話。
http://www.lindenbaum-jp.com/spiritual/11365
Nozomiさんのサイトの記事は、地に足のついたスピリチュアル話でとても納得できる。「仕事にやりがいがなくてはならない」という世の風潮もあるけれど、「仕事に高い志はなくてもいい。生活回せるだけ稼げるならそれでOK」とキッパリ。ホントにその通りだ。Nozomiさんは、「やりがいのある仕事探し」は、「もっと自分に合う運命の人がいるはず!」と同じ文脈であると語ります。

思えば私も「彼氏探し」をしていた時は、同じようなことをずっと思っていた。「もっともっと」と相手に理想を求めるばかりで。でも落ち着いたのは、自分が等身大でいられる相手。
もしかしたら仕事も似たような感じで、「もっと、もっと」と追わなくても、気負わずに働いていられるなら、それでとりあえずは合格なのかも。