2016年4月24日

クセになってない?愚痴・悪口で“落ちる”のは相手ではなく自分

投稿者: sanoe

職場で嫌なことやムカつくことがあると、ついつい同僚とランチタイムにグチっていませんか? 確かに悪口や愚痴をしゃべるのは一時はスッキリするかもしれませんが、それで問題が解決するわけではありません。ならば愚痴・悪口を言う前にできることがあるはず。

落ちる手前で気持ちを上げる

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昔、あるスピリチュアルカウンセラーさんに言われたことがあります。「落ちるのは簡単」と。

重力と一緒で、上にあがることはしんどいけれど、気持ちも落ちるのは簡単。だからこそ、「気持ちが落ちそうになる手前で、何でもいいから気持ちを上げること。落ちそうになる気持ちに目を向けない」と仰っていました。

愚痴、悪口は落ちる気持ちを言語化すること。ますますそのことに意識を向けてしまいます。さらに悪口で終わると後味も悪い。言霊があるならば、自ら首を絞めているようなことでしょう。

ネガティブな思考が出てきたら、「晴れて良かった、ご飯が美味しくて良かった、呼吸ができて良かった…」と、何でもいいから「良かった」で言葉を締めるのだそうです。

誰かの悪口は自分自身に返ってくる

私が小学生だった頃、まあ子どもなので、クラスでは女子ならではの派閥があって、陰ではいない人の悪口を言い放題。だからグループ内で他人の悪口を言っていたんですよ。でも、同じように自分も陰で悪口を言われているのは当たり前。

ところがある日突然、同じグループの女子たちから無視される…というイタイ目にあって、「もう二度と他人の悪口を言うまい」と固く心に誓ったのでした。誰かの悪口を言えば、自分も誰かに悪口を言われる。因果応報の実体験でした。

社会人になると、あからさまな悪口を言うヒマもなくなったけれど、やっぱりストレスや不平不満は発生して、気づいたら愚痴っぽくなっていたり、愚痴からの悪口っぽいものになっていたり、「どうせ私はダメだ」という弱音になったり…。

そうやって吐き出すことが快感になってしまうと、気づけばいつでも話題は愚痴ばかりに。それが、“クセになる”=“落ちる”っていうことではないかと思うのです。

良い口癖を自分に聞かせる

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吐き出すことは必要。
でも、時と場所を選んで、習慣にはしないこと。
「吐き出さなくても大丈夫、まだイケル」と思えることがあるなら、愚痴、悪口、弱音は封印。今できることをひたすら黙々とやり続けることが、“上がること”につながるはず。
…と信じたいです。

口癖いつも聞いているのは、自分自身。
愚痴りたくなったら、かつてハワイの問題解決法として大ブームになった「ホ・オポノポノ」をやってみるのもいいかもしれません。
「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」と唱えます。