シューカツは苦手でした…。二度としたくない
「転職活動」なら、まだできるような気がするんですよ。
これまでの職歴の話ができるから。もちろんキビシイだろうけど。
でも「シューカツ=就職活動」は二度としたくないと今でも思うのです。その理由。
1 口達者な人が生き残る
以前お邪魔したことのあるセミナーで、
春から新社会人という若者の話を聞く機会があった。
詳しい内容は忘れちゃったけど、就活本のそのままっていうか…。
でも、ハキハキした教科書通りのキレイな答え。
ああ、そっか。こういう人がシューカツに勝ち残るんだなあ…と実感。
そういえば、大学時代のサークルのチャラ男先輩も、
就職氷河期だったのに某大手銀行に採用されてたな
(ただし本人は留年しちゃったっぽいが)。
おかげで、自分の“シューカツ観”は、
就社に人生をかける演技のできる口達者な人が勝ち残るもの…という
歪んだイメージができ上がりました。
2 “就社”を求められる
大学の就職課は、
「面接の練習のために、ちょっとでも興味のある会社なら
(=あまり興味のない会社でも)どんどん受けろ」と言います。
周りの友人たちも当然だが練習として何社もエントリーする。
本命でもなんでもない会社に
「御社が第一志望です」という趣旨のエントリーシートを書き、面接を受ける。
例外なく私もそんなシューカツ生だったが、
心にもないことを考えるのも書くのも苦痛で仕方なかった。
確かに企業は、“就職”ではなく“就社”を求めるという傾向があると思う。
そんな熱心な就社意欲を持って入る人、どれくらいいるんでしょうね。
希望ではない職種に異動になったらどうする?
3 自己分析しても自信がないし、やりたいことがわからない
ある公益法人の会社説明会で、一般職のOGがお話していました。
「振り込む金額が多いので、責任感を感じるし、
金額を振り込むのに最初は手が震えました」。
うん、金額が多いから怖いよね。緊張するでしょう。
それが一般職に求められる大切な仕事。
でも当時の私は「振り込みの作業に何の生きがいとやりがいを見出せっての?」なんて
図々しいことを考えていた。
平凡で中途半端な学生生活しか送ってこなかった私は、
ホントに面接で語るモノが何一つなかった。
何もなかったから、何の自信もなかった。
もちろんやりたいことも分からない。
自己分析が足りない…ってのもあったと思う。
考えるほどに自分が無価値な人間に思えて考えるのが嫌になった。
4 じゃあ、シューカツはどうすれば良かったか?
社会人になってから何回か転職して、職歴が増えたり、
社会人としてできることが増えるたからか、面接は今のほうが話しやすい気がする。
やりたいことは何か?という答えが、
学生の時は「自己満足の妄想」という範囲でしかできなかった。
ビジネスをする上で一番大切なお客さんをイメージできなかった。
今になって、面接がそこまで苦痛でなくなったのも、
お客さんの存在を考えられるようになったのも、
「とりあえず働いてみた経験」
「辞めたかったけど続けて働いた経験」のおかげとも言える。
私はシューカツの成功者じゃないから、シューカツはどうすれば良かったのか?
…なんて分からないけど、
最初に就職した会社で人生が決まるなんて…そんなわけないでしょ。
今の自分でできることで、誰かの役に立つことを提案し続けるしかない。