2016年3月1日

シューカツは苦手でした…。二度としたくない

投稿者: sanoe

「転職活動」なら、まだできるような気がするんですよ。
これまでの職歴の話ができるから。もちろんキビシイだろうけど。
でも「シューカツ=就職活動」は二度としたくないと今でも思うのです。その理由。

1 口達者な人が生き残る

以前お邪魔したことのあるセミナーで、
春から新社会人という若者の話を聞く機会があった。

詳しい内容は忘れちゃったけど、就活本のそのままっていうか…。
でも、ハキハキした教科書通りのキレイな答え。
ああ、そっか。こういう人がシューカツに勝ち残るんだなあ…と実感。

そういえば、大学時代のサークルのチャラ男先輩も、
就職氷河期だったのに某大手銀行に採用されてたな
(ただし本人は留年しちゃったっぽいが)。

おかげで、自分の“シューカツ観”は、
就社に人生をかける演技のできる口達者な人が勝ち残るもの…という
歪んだイメージができ上がりました。

2 “就社”を求められる


大学の就職課は、
「面接の練習のために、ちょっとでも興味のある会社なら
(=あまり興味のない会社でも)どんどん受けろ」と言います。

周りの友人たちも当然だが練習として何社もエントリーする。
本命でもなんでもない会社に
「御社が第一志望です」という趣旨のエントリーシートを書き、面接を受ける。

例外なく私もそんなシューカツ生だったが、
心にもないことを考えるのも書くのも苦痛で仕方なかった。

確かに企業は、“就職”ではなく“就社”を求めるという傾向があると思う。

そんな熱心な就社意欲を持って入る人、どれくらいいるんでしょうね。
希望ではない職種に異動になったらどうする?

3 自己分析しても自信がないし、やりたいことがわからない


ある公益法人の会社説明会で、一般職のOGがお話していました。

「振り込む金額が多いので、責任感を感じるし、
金額を振り込むのに最初は手が震えました」。

うん、金額が多いから怖いよね。緊張するでしょう。
それが一般職に求められる大切な仕事。

でも当時の私は「振り込みの作業に何の生きがいとやりがいを見出せっての?」なんて
図々しいことを考えていた。

平凡で中途半端な学生生活しか送ってこなかった私は、
ホントに面接で語るモノが何一つなかった。

何もなかったから、何の自信もなかった。
もちろんやりたいことも分からない。
自己分析が足りない…ってのもあったと思う。
考えるほどに自分が無価値な人間に思えて考えるのが嫌になった。

 

4 じゃあ、シューカツはどうすれば良かったか?


社会人になってから何回か転職して、職歴が増えたり、
社会人としてできることが増えるたからか、面接は今のほうが話しやすい気がする。

やりたいことは何か?という答えが、
学生の時は「自己満足の妄想」という範囲でしかできなかった。
ビジネスをする上で一番大切なお客さんをイメージできなかった。

今になって、面接がそこまで苦痛でなくなったのも、
お客さんの存在を考えられるようになったのも、
「とりあえず働いてみた経験」
「辞めたかったけど続けて働いた経験」のおかげとも言える。

私はシューカツの成功者じゃないから、シューカツはどうすれば良かったのか?
…なんて分からないけど、
最初に就職した会社で人生が決まるなんて…そんなわけないでしょ。
今の自分でできることで、誰かの役に立つことを提案し続けるしかない。